2016年2月17日水曜日

怒りや攻撃。。の必要性とバランス


こんにちは(#^^#)

直日です☆彡

お読みいただきありがとうございます(*^-^*)

心より感謝いたしております(*^-^*)




在る本、、(精神科の先生の本です)に書いてあった言葉、、成程と思いましたので、共有させていただきます☆彡

「怒り、攻撃」は、人間は必要な感情だそうです。

とかく、、ネガティブな感情として排除されがちですが、、(排除しなければならないと思いがち)

人間が生き残ってくるためには、必要な感情だったそうです。

長い歴史の中で、沢山の危険にさらされながら生き残ってきた、人間は、「身を守る必要」があったわけです。

その時、「警戒や怒り、攻撃」と言う感情を使いながら、身を守ってきたのですよね。。

そうした感情が無ければ、、人間は、今頃生き残ってはいなかったと、、書いてありました。

なるほど。。。です。

必要だから、感情はあるんですよね(*^-^*)

喜怒哀楽全てが必要な感情なのですね(*^-^*)

ただ、、、自然界や野生の動物から身を守る必要がなくなった昨今、、、

「怒りや攻撃」の在り方は変化しているとは思います。

そのベクトルによって、、怒りや攻撃もバランスよくも悪くも作用します。

①ベクトルが、「大切なものを守るため」に向いていると、、、

例えば、家族や友人を困っている人を守る方向に作用します。それは、必要な怒りかもしれませ

ん。怒りは大切なものを守るために必要だから。。

②ベクトルが、「自分だけを守る、自分名誉を守る」と言う風に「自分だけ」に向いていると、、

「自分が傷ついた時、自分の名誉を傷つけられたとき」に、怒りや攻撃が発動します。


①は、「怒りや攻撃」を正常に発動させて、大事なものを守っています。

②は、「怒りや攻撃」を誤作動(・・?させて、、自己愛に走っています。


①と②の違い解りますでしょうか?

最近、よく聞く言葉で「自己愛」というものがあります。

ある程度の自己愛であれば、、大切です。

しかし、それが度を超すと、、、「自分さえよければ」に発展しますね。


誰だって、「怒り」の感情が湧くことがあります。

その時、ふと立ち止まり、考えてみてください。

「この怒りは、誰かを守るためのものだろうか、、、それとも、自分のプライドのためなのだろうか」

そうして、もし、自分のプライドのために怒っているのかもしれないと気付いたら、、一歩前進です。

ちょっとだけ、客観的になって。。。

この怒りは、、誰かのためになるのか?自分は満たされるのか?必要な怒りなのか?と自問してみましょう。

中には、必要な怒りの場合もあると思います。その時は、、「私怒っているんだ」と受け入れましょう

(*^-^*)それでいいんです。

ただ、中には「この怒りって要らなかったなあ」と『手放せる』怒りもあるという事です。

こうして、ふと、自分の感情を冷静に眺める瞬間があると、、「バランス」を取ることが習慣化してゆくと思います。

過剰すぎるなあと思ったら、、少し冷静に自分の感情を眺めて見るのも、、いいかと思います(*^-^*)

なにかの参考になればうれしいです(*^-^*)

皆様が、ますます光り輝かれますことを心より祝福させていただきます(*^-^*)

直日☆彡

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