2015年12月11日金曜日

他人の目=自分の良心


こんにちは(#^^#)

直日です(*^-^*)

お読みいただきありがとうございます(*^-^*)




日常生活を過ごしておりますと、、様々な感情を体験します。

ワクワクうれしくなることもあれば、もう駄目だあ、、、疲れたなんて悲観する気持ちになることもあります。

人生は「波」であり、「振り子」のように揺れていますから、当然です☆彡

自分の感情の範囲で、「ああでもない、こうでもない。。ああしょうか、こうしようか」と感じたり考えたりしているうちは、他の人に心の内を視られてしまう事はありません。

しかし、何か行動したり、言葉や表情と言う、「目で見える形」にしたとたん、、「他人の目」が気になりますね。

私たちはこの三次元と言う現象世界に存在していますから「目で見える事」を意識しやすいです。

では、、目で見えることが気になると、「自分の心の声」が聴こえなくなるのでしょうか?

確かに、雑音、情報、観念、時代背景、、、等々絡み合って、「純粋な魂の声」は捉えにくいかもしれません。

ですが、、ふと思いました。

「他人の目」を気にしている瞬間と言うのは「誰かの役に立つ行為をしている時」あるいは「誰かに迷惑をかける行為をしている時」が多いのです。

一人で瞑想や読書をしている時には、「他人の目」を気にしたりしません。

「他人の目」を気にした時は、、「自分の良心」と繋がっているのではないか。。と感じました。

誰でも、「良い気(エネルギー)(良心)」「悪い気(エネルギー)(魔ともいう)」を持っています。


私達は、全て繋がっています☆彡

なので「他人の目」は、「自分自身の目」でもあると思うのです。

なにか「人に迷惑をかけるような行動、衝動に駆られた時」、、他人の目が少しでも気になるのであれば「自分の良心」が、「そっちは、魔だよ」と教えてくれているのでしょう。

全ては繋がっている、、と知れば、「他人の目」も嫌なものではなく。。何かのメッセージに気付くためのものと捉えることが出来ます。

常に、私たちの現象世界は、「気づき」を促していただいているのでしょう(*^-^*)


もし、他人の目が気になりすぎて動けない。。と感じる方がいらっしゃれば、、その時は「自分」に焦点が当たりすぎているのです。

他の人が喜ぶためにはどうしたらいいか、他の人の役に立ちたい。。と思うと、人の目が気にならなくなります(*^-^*)

全てが繋がっているのですから、「誰か(他人)」は、「自分自身」です。

誰かが困っていたら、一緒に「問題」を「テーマ」にして向き合い、共に成長しましょう。

誰かが喜んでいたら、ともに分かち合いましょう。。自分のこととして。

他人のことを自分のこととして向き合ってゆく人が増えてゆけば、この世には「問題」はなくなります。確実に減ります。

よりよくなってゆくための「テーマ」が生まれ、地球も宇宙も、ますます進化してゆきます(*^-^*)

皆様がますます光り輝かれますことを心より祝福させていただきます(*^-^*)

最後まで、お読みいただきありがとうございました(#^^#)

直日(*^-^*)

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